「禁止されていないなら、やってもいい」
そんな考え方に違和感を覚えたことはありませんか?
この世にはルールで禁止されていないことを理由に、「禁止されていないことをやって何が悪いの?」みたいな態度をとる人が一定数います。
ドローン規制がない場所でドローン撮影をして、他人のプライバシーを侵害してるにもかかわらず「禁止されてないから」と開き直ったり。
公共の場所でyoutube用の動画を撮り、周りに迷惑をかけてるにもかかわらず「撮影禁止なんて書いてない」と開き直ったり。
僕はこんな人を見ると非常にモヤモヤします。
この記事では
「禁止されていないことをやっていいのか」について
僕が思うことを書いていきます。
「禁止されていない」=「やっていい」ではない
結論から話しますと、
「禁止されていない」は「やっていい」ではない。
だと考えます。
ルールで決まってないからといって「許可されている」わけではありません。
そもそもルールが決まっているのはその場所の秩序を保つため。つまりみんなが心地よく過ごせるためにルールはあるはずです。
ルールで禁止されていないからといって周りに迷惑をかけてしまう行為をするとみんなが心地良く過ごすことはできなくなり、ルール違反するのと同じ結果になってしまいます。
グレーゾーンを問題ないと主張する心理
ルールで禁止されていない、いわゆるグレーゾーンを問題ないと主張する人。
こんな人はどんな心理状態なんでしょう。
おそらくはルールを理由にして自分を正当化したいという考えなんだと思われます。
「ルールこそが絶対的に正しい」と主張し、そこで禁止されていないのだからやっていい。自分は悪くないと正当化する。
後ろめたいことをやっている自覚はあるものの、「ルールで禁止されていない」を理由に自分の後ろめたさを正当化してしまう。
グレーゾーンを責めてくる人はだいたいこんな人です。
こんな考えに対して思うのですが、「禁止されていないことをする」のは「ルールを守っている」ことにはなりません。
自分は悪くないという主張が認められるのはあくまでルールを守っている時であって、禁止されていないことが起きた時にはその行動が良いか悪いかを判断する必要があります。
グレーゾーンの善悪を判断する決め手
それではグレーゾーンについてはどう善悪を判断すればいいのでしょうか。
これはルール上決まっていないことなので良いか悪いかを即座に主張することはできません。
そのグレーゾーンの善悪を判断する時に重要になってくるのが、
周りの人がどう感じたか
ということです。
グレーゾーンの行為によって迷惑を被った人がいたか。見ていた人が不快な気持ちにならなかったか。
先ほども書きましたが、ルールはみんなが心地よく過ごすためにあるもの。
だからルールに書いてない行為が起きた場合は周りの人の気持ちが判断基準になってきます。
迷惑を被った人や嫌な気持ちになった人がいたら、それは「悪いこと」と認識されることでしょう。
逆に周りの人が喜んでくれたり、ほっこりいい気分になったということがあればそれは「良いこと」と認識されます。
とは言うものの、グレーゾーンが問題ないと主張する人の行動は大抵が悪いことのケースが多いでしょう。
少なくとも僕は「禁止されてないのに何が悪いの?」という開き直りをする人の行動が良いものだと感じたことは一度もありません。
まとめ
この記事をまとめは以下の通りです。
- 「禁止されていない」は「やっていい」ではない
- グレーゾーンを責める人は自分を正当化したい心理がある
- グレーゾーンの善悪は周囲の反応で決まる
「周囲の反応が善悪を決める」
社会に生きる上で忘れてはいけないことだと思います。
今の時代、自分の行動に対して周囲の人が「それはダメだよ」と直接注意してくれるということは少なくなっています。
だから行動を起こす時にはルール上で禁止されてるかではなく「周囲にどんな影響が起きるか」を自分で考える力が求められます。
そうやって行動できれば、たとえルールが曖昧な状況だったとしても自分自身と周りの人にとって納得できる結果になるのではないのでしょうか。
ほんの少し周りに目を向けるだけで、世の中の雰囲気は格段に良くなると思います。
終わります。
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